シコシコBlog

ぼくのせいちょうきろく

モラトリアムの終わり

4000字書いてます。ひたすら後悔していることだけを書いています。

 

このブログはフィクションというテイです。実在の人物・団体とは一切関係ありませんというテイです。

 

 

今月で7年も続いた学生生活が終わる。記念受験で1年を棒に振ったのを足したら8年もモラトリアムの時間を過ごしていたことになる。

 

しかしおれはこの8年間ので圧倒的な成長を成し遂げることができた。地獄のような浪人生活の中で、おれは日々積み重ねることの重要性を認知し、それをこの大学生活の中で実行していくことを決意した。人生とは日々の積み重ね、それによって成立する。おれは毎日読書を欠かさず行い、それによって得られた知見を必ずブログにまとめて発信し続けた。自分の視野を広げるために毎年海外の難民キャンプでボランティアを行った。この活動を始めた当初,おれは自分の無力さに落胆した。だが、このボランティアを続けていくうちに、ここの人たちはおれ達の助けを本当に必要にしていることに気づいた。自分の行っていることが誰かにとって大きな影響を及ぼすのを目の当たりにした。おれのほんとうの使命は暗い世界に希望と善意と光を広めることだったことに気づくことができた。この体験はおれの今後の生き方に大きく影響を与える出来事であると今も確信している。これだけでなく、自分の価値を高めるためにプログラミングの勉強を始めた。そして自分でアプリを作れるようになり、それをきっかけに会社を立ち上げることが出来た。苦しいことはたくさんあったが、一緒に活動した仲間たちは一生の宝物だ。就活ではこれらの経験を惜しみなくアピールし、超大手企業に就職することができた。進学した大学院ではおれの行った研究が学会で評価され、ベストオーサー賞を受賞することができた。教授も俺を高く評価してくださり、博士課程への進学を強く薦めてくださったが、丁重にお断りさせていただいた。社会に出てからもおれは常に「自分が社会に対してできることは何か」を考え、より一層圧倒的成長を続けていこうと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんてことが書けるはずだったんだが、驚くほど何も書くことがない。毎日読書なんかしてないし、ブログなんか全くと言っていいほど書いてない。ボランティアにも行ったことなければ、キャンプすらしたこともない。あと会社なんか立てたこともない。だいたいアルバイトしてた。ほぼ毎日教授に怒られていたし、研究も大して頑張ってない。学会なんか一度も呼ばれたことがない。

上で書いたウソはめちゃくちゃスラスラ出てきたのに、今本当のことを書こうと思うと、びっくりするくらい手が止まっているのである。

 

 

高校では何も勉強していないのに、とりあえずカッコだけつけとくかと京都大学を受験し、見事250点足りずに浪人の道を歩み始めた。

ふりかえると、ここでの1年間の浪人生活は、今までの人生で嘘偽りなく頑張っていた時期だったのだが、ここでの頑張りが功を奏したというか裏目に出たというか、そこそこいい大学に合格してしまったのである。ここからイロイロ狂い始めたのかもしれない。

大学が始まる前の健康診断で、周りからクスクス笑われてるのに気づかずに、後ろに並んでいた隣のイスラム教信者っぽい女子に一方的に話しかけ続け、健康診断の担当の人に

「あんたココ女子の部だよ」

って言われた僕は、まっすぐ前だけを向いて若干速足でその場から去っていったのであった。

ここできちんと男子の部の健康診断に行っていればきちんとスタートダッシュが切れて、もっと違った未来が待っていたのかもしれない。

 

 

よく「大学では人脈を作れ」とは言われるが、7年間も大学にいて自分でもびっくりするくらい友達はできなかった。顔見知り程度の人はたくさんできたけど、深くかかわった人はほとんどいなかった。打ち解けること自体はそんなに苦労しなかったけど、関係を維持することが難しかったのだ。

実験で関わることになったとしても接触する時間は長くてせいぜい2時間くらいだし、ちょっと踏み込もうとする頃には授業が終わる。かといってその後わざわざ時間を取って踏み込んでいくのは「向こうもやることもあるだろうし」と躊躇した、というより面倒臭かったのである。

でもたまに向こうから僕に興味を持ってくれてご飯を誘ってくれたりしたこともあって、それは嬉しかった。けれども僕は学校にあんまり行かないのでそういう人達とも会うことはなくなったのであった。

最初は「自分に友達ができないのは自分が少しとがっていて周りとは違う人間だ」なんてイタイことを思っていたが、今となってはかなり面倒臭がりで受け身なだけだったなと思う。

 

それ以外についても、7年間これと言って何かをしたわけではなかった。

大学生活というのは何もしなくてもいいとはよく言われるが、本当に何もしないのはさすがにまずいと思ってイロイロやってはみた。けどそのイロイロのベクトルはちょっとずれていて、大阪から東京までいろんな手段で行ってみたり、プログラミングを始めたりなど、よくあるイタイ大学生みたいなことで終始してしまった。

大学に行く前に漠然と思っていたのは、サラリーマンとして働く以外の活路を何かで見出だすことだった。かといって自分にそれを実現できるための何かがあるわけじゃなかったので、それを4年だか6年だか通っている間にみつかればいいな~とボンヤリ思っていた。ただ悲しいかな、ぼくはそういったものを自分で見つける努力を一切しない人間であるということが分かっただけだったのだ。色んなことをめんどくさがって後回しにし続け、その期間が1年延長されても見つけることをしなかったのだ。

結局この7年間は、自分がいかに怠惰でだらしない人間なのかを確認するための7年間だったのである。

 

何にもしていない現状を何とかしようと始めたプログラミングで塾のシステム開発のアルバイトを始めたときに、自分と同い年の2個上の先輩(先輩は現役で留年していなかった)がいたが、その先輩は塾の営業管理システムを一から構築し、10校舎以上が利用するシステムを作り上げていた。その先輩以外にも文系でゴリゴリプログラミングできる人がいて、そのスキルを元手に様々なプログラマーと交流を深めていた。この人たちは早い段階で自分を何とかしようと計画し、それを実行に落とし込み、モノにしてきたのだ。この人たちと比較すると自分はほとんど何もせずにぼんやりしていただけに等しかったのである。

 

 

何もかも後回しにし、最終学年の夏がすぎても何もしないままであった。なんなら研究すらしてなかった。

大学院入学当初からコロナが流行り始めたことで研究室の活動がリモートメインになっていたため、同期が今どんなことをしているかリアルタイムでわからなかった。夏過ぎたころに久しぶりに研究室に行くと、全員なんかしらの会社から内定を持っていた。その時おれは就職活動すら始めていなかった。そこそこ怠惰な友人からも「はやく就活しろ」とは言われていたが、この状況になってもおれは全く焦っていなかった。それくらい働くことを他人事のように思っていたのである。このままじゃいけないことはわかっていたし、何をするべきかもわかっていたが、それでもやる気は起きなかった。

 

 

誰かにケツを叩かれないとこのまま一生動かないなと思い、適当な新卒エージェントに申し込んだ。新卒エージェントと言うと、「いい感じの企業を提示してくれて、面倒臭い手続き含め面接対策とか全部やってくれるところ」なイメージだったが、企業を複数紹介したらあとは大体放置なので、結局は自分で動くしかないのであった。そのくせいっちょ前に「友達に私たちを紹介してください!こちらの定型文をここだけあなたの名前に変えて送ってね!」ってことだけは定期的に言ってくる。

また、この時期に残ってくる会社というのは

 

  • 福利厚生が充実!一日一回お互いにありがとうを言い合う「ありがとう手当」
  • 他部署の人とランダムでランチに行く「ランダムランチ会」
  • ほぼ客先常駐メインのSES

 

みたいなのしかなかった。そのほかにも社長と会話できるのが福利厚生とか載せてるヤバい会社もあったが、もう文句を言っている場合じゃなかったので、その中でも一番マシな企業を選んで粛々と就活を続けた。そこそこテイのいい企業に申し込み、外面と見せかけだけを頼りに何とか内定を取ることが出来た。

しかし一難去ってまた一難、今度は卒業できるかどうかが怪しくなっていた。研究が全く進んでないのはもちろんのこと、一つでも単位を落とすともう一年だドン!な状況になっていたのだ。教授含め、まわりに相当怒られが発生しながらも、つい最近になってやっと卒業にこぎつけることができたのである。

 

全てなんとかなってしまうのだ。いや、なんとかなってしまったのである。

 

こういうのは今後の人生に大きく響くくらい取り返しのつかないことになってしまうであれば、その危機感から頑張れたのかもしれないが...いや、頑張っていないのかもしれない。この7年間からおれは「なんとかしないといけない」という気持ちはあっても結局は後回しにし続けて、なんともならない人間になっていくのだろうな、というのがなんとなく見えてきて、少し陰鬱な気持ちになっている。

めんどくさくなって後回しにすると、その時は楽かもしれないが確実に未来に影響を及ぼしている。後回しは未来の選択肢を担保にやるべきことのリボ払いしているだけなのだ。自分が気づいていないだけで、この7年間でいろんなことをめんどくさがったことにより、もうすでに僕の人生は取り返しのつかないものになっているのかもしれない。まだまだ何とかなる可能性もあるかもしれないが、7年前と比較して確実にそんなこと言ってる場合じゃないというか、何とかならなくなっていることはうっすらと、いやひしひしと感じ始めている。

 

浪人の時の自分は何であんなに頑張っていた、そして頑張れたのだろうと今では思う。今頑張っていることが将来どう結びつくかはわからないが、とりあえずがむしゃらにやっとけば何かいいことあるやろう、そんな雑な思いだけでも頑張れた。しかしここに出来上がったのは、頑張り方すらわからなくなり、ただのルーズでポンコツな人間である。一時的な頑張りによって身の丈に合わない場所に収まったことにより、こうなってしまったとも考えられるかもしれない。こんなメンタルのまま社会に出て大丈夫だろうかとは思っているが、もちろん「何とかなるだろう」と思っている。

次の社会人のステージは果てしなく長い期間で、ここで後回しを発動しまくっていると、負債は確実に将来に影響してくるに違いない。少しでもマシな未来を迎えるためにも、春からはちゃんとしたシャカイジンシャカイジンしようと思っている。ホンマか?

 

昔を正当化できるかどうかは、すべては現状に納得しているかどうかにかかっていると思っている。今でも現状に対してさして不満はないけど、後悔はちょっとだけある。かと言ってどうすることもできないので、10年後になってもこの記事と同じようなこと書いてるようにならないようにだけしようと思っている。

 

※ひたすら暗い感じになってはしまったが、楽しいことは楽しいことでいっぱいあった。ここに書いたのはその中のほんのちょっと陰鬱な気分だけだよ