ミヤワキさん
同じコンビニで働いている人で、「ミヤワキさん」という人がいた。
バイト初日にあいさつをすると、
「はじめまして、ミヤワキと申します。ここでは副店長をやっています。初めてでわからなことが多いと思いますが、早く慣れていきましょうね。一緒にこの店を盛り上げていきましょう」
とニコニコしながらすごく丁寧なあいさつをしていただいた。見た目から判断するにだいたい50代くらいで、喋り方とかからものすごい真面目な方だとすぐわかった。
「ミヤワキさん、あんたと同じ大学だよ。先輩になるね」
と他の人から教えてもらった。だからってどうと言うことはないけど、そういうちょっとした共通項があると何か話するときのタシにはなる。
ある日休憩の時間が被った。控室で2人。
俺が切り出す。
「ミヤワキさんって、大学で何学んでいたんですか」
「私は哲学科に入っていてそこで哲学を勉強しました」
「エライ人達のありがたいお言葉を勉強していたんですか」
「まあ、そうですね」
「哲学を勉強して社会に出て、役に立ったと思うことはありますか」
「いや、あんまりありませんね。むしろ邪魔になることが多かったです。私は大学を出てからは銀行で働いていたのですが、大学で学んで作り上げた自分の考えと社会に出て感じたこととのズレに対してうまく自分で折り合いをつけることが出来なかったので、しばらくして辞めました。」
「でも、それから辞めっぱなしというわけではなかったですよね」
「はい。でもいろんなことに挑戦しては、辞めて、の繰り返しですね。それでここまできましたね・・・」
そう言っているミヤワキさんの目は確実に虚ろであった。
この話はやめておこう、と別の話題に切り替えた。
自分の考えよりも周りと適当に折り合いをつけて軽くやっていく器用な人とは反対に、自分の信念みたいなのを大事にしすぎて周りと衝突したり深く考え込んだりする不器用な人がいる。ミヤワキさんは後者なのだろう、とこのとき話して思った。
一回日曜日の早朝にミヤワキさんと俺二人のシフトの時があった。
お得意の寝坊をかまして5分ほど遅れてバイト先に着き、控室に入るとミヤワキさんがいた。おはようございます、すいません寝坊しました、と言うと、
「おはようございます。今日は日曜日なので荷物は普段とは違う場所になります。ここに置いてくださいね」
とニコニコしながら言った。怒られずにすんだぁ~、と思うとミヤワキさんは、「あ、あと」と言って
「遅刻するのは言語道断です。二度とこのようなことが無いようにしてください。絶対やぞ」
とすっごい眉間にしわを寄せて普通にキレてきた。ミヤワキさんは怒ると分かりやすい。笑顔が消え、タメ口になるのだ。ここまで怒ってるかどうかわかりやすいってのも珍しい。普段ニコニコしている人なので余計コワさ倍増だった。監視カメラのモニターにがっつり個室でキレられてるのがミヤワキさん越しに映し出されていた。なかなか情けないものである。
「は、はい・・・すいません・・・」
と絞り出すのがやっとだった。
そしてこの後2回寝坊して店長に報告されるまでがセットである。
寝坊して怒るのはミヤワキさんだけであった。他のバイトのメンバーは全く怒らない。人に興味あんのかコイツら、と思うくらい怒らない。バックレても気づかないんじゃないのか。
ある副店長は、寝坊してすいませんと言うと、
「安心しろ。俺なんか20回以上寝坊してる!!!」
と誇らしげに言うのであった。こんな人が副店長やってるんだから社会はチョロイはずである。(2留しているそうです)
その寝坊の一件があってからミヤワキさんはよく僕に怒るようになった。僕がダメ人間だと気づいたので全力で正しにかかったのだろう。3時間しか働かないのに休憩をとろうとしたり(休憩は6時間以上勤務する場合30分以上取ることが認められている)、終業1分前に引き上げたり、業務中ミスりまくったりすると、お構いなく怒る。
でも俺はそのことについて「ムカつくなミヤワキ」とは思わない(聞こえなかったから聞き返したらキレた時は思ったが)。俺はいろんなシーンで怒られてきた。学校、習い事、部活、バイト先、etc。俺があえて怒られるようなことをしたのもあったが、ほとんどが「自分が間違っていると知らないでやった間違ったこと」に対してのものだった。その他の理不尽な怒られに関してはきちんと反論した。
今度の場面ではミヤワキさんがこの役割なのだろう。
ある日のこと。
早朝4人で回すはずだったのだが、一人体調不良で3人で回すことになったことがあった。朝の時間帯なので結構忙しかったのだがなんとかしのぐことが出来た。
その1週間後、バイトに出勤して制服に着替えているとき、
「○○さん、ちょっといいですか」
とミヤワキさんが真顔でこっちに来た。
なんや俺なんか悪いことしたかと、ここ一週間の勤務態度を高速で思い出したがほとんど思い当たることばっかだあひゃー、と思っているとミヤワキさんが
「私、○○さんに謝らないといけないことがあります」
とものすごい申し訳なさそうな顔で言い出した。
「?????」
となっていると、
「以前、一人体調不良が出て4人で回さないといけないところを3人で回した日がありましたね。あの日、一人欠員が出た際に副店長である私がそのことを店長に報告しなければいけなかったのに、その責務を怠ってしまいました。そのせいで○○さんとあと一人に大きな負担をかけさせてしまい、本当に申し訳なかったです。今後このようなことが無いように気を付けます」
ぽかーんとしていたが、とりあえず
「こちらこそよろしくお願いします」
と返した。
俺ならそのミスから時間がたっているのでわざわざ一人ひとりに謝りに行くことはしないだろう。いや、社会ではそうするべきかもしれない。でも俺の目からすると「そこまでする?」という気持ちだった。
それまでずっと怒られっぱなしで「ミヤワキへの反逆」なんてことも考えていたのが、その一件からすっかりなくなった。
しばらく時間がたって、ミヤワキさんがバイトを辞める、ということを聞いた。
直接ミヤワキさんに確認した。
「ミヤワキさん、バイト辞めるんですか」
「はい、そうですね」
「何かするんですか」
「まぁ、そろそろ新しいことをしたいと思いましてね」
と、ミヤワキさんは虚ろな表情をしていた。俺はあの控室での会話を思い出した。多分また気に入らないことがあったのだろう。はたまた俺が気に入らないのか。これからもこのクソ真面目な男はこの繰り返しを死ぬまで続けるのだろう。
「イイと思いますよ」
と俺は言った。
ミヤワキさんの最終日と俺のシフトが合っていなかったので、俺は今までのお叱りのお礼の意味ですごくいいもの(実は韓国のり)と今までの謝罪のメモも付けて、店長づてにミヤワキさんに渡してもらった。
後日電話がかかってきた。
「ありがとうございます。こんなにいいもの(実は韓国のり)を貰って・・・」
それから数分話をしたが、敬語を使うのに頭を回しすぎて何を話したか覚えていない。途中ミヤワキさんが僕の謝罪文に対してジョークを言っていたが、早口で何言ってるのかわからなかった。初めて僕に言うジョークだったが、多分笑えないジョークだったのだろう。
電話を切る間際に僕はあたふたしながら言った。
「ミヤワキさんのご健闘をお祈りします」
受話器の向こう側で大きな笑い声が聞こえた。
真面目に生きるのはしんどい。ミヤワキさんが俺にそう教えてくれた気がする。